文化,伝統,言語,道とかの話
- 2019.05.15
- PLASSPER
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クロアチアでは最近,例年にはないくらい雨風が強く木が折れたり建物がぶっ壊れたりしている.
基本的には晴れの日が多いので人々の気持ちもなんとなく沈んでいる.
5月も中旬だというのに隣のスロベニアでは雪が積もったらしい.
梅雨に慣れている僕もつられてなんとなくテンションが下がっているし膝の調子も悪い.
今回は,ツイッターを見たり,現地の人と見たり話したりする中でいろいろ感じた個人的見解を書き留めておきたいなと思います.
文化とかの国際交流にはつきもののお話について.
許容?理解?
世界中には多様な文化,伝統があり,言語も分岐しまくっている.英語を話せれば多くの人とコミュニケーションを取れるが,現地の言葉を使用することで彼らの価値観に触れることができるだろう.現地の価値観に触れることは文化や伝統に触れることにもつながってくると思う.
さて,それらに直面した時,僕らはどのように対処することが望ましいのか?
選択肢としては拒絶,許可,理解,許容,,,
拒絶 → 拒否する,禁止している状態
許可 → これはいいよ!これはダメ!と決めていっている状態
理解 → 他人の気持ちや立場を察すること,推し量る.
許容 → あることをする,ある状態にあることを許して認めること
とまあこんな感じ.
僕としてはこの中でいうと,「理解」を選択すると思う.
許可して境界を引くほどでもないし,全般的に認めるほどでもないのかなと.
「まあそうだよね,考えていることはわかった.でも僕はやらないかな」みたいな.
文化や伝統は長い歴史や育った環境の中で醸成されていくはずので,外から来た誰かに強制,矯正することはできないし,外から来た誰かがその人の持つ文化を強制することもできないと考えている.
ただ,理解して取り入れていくかどうかは各個人が決めればいいことなので,他の文化に触れたり,彼らの考えを想像したりすることは必要なのかなと思うわけです.そして,それぞれの文化に対して尊重する気持ちは持っていたい.
食もスポーツも強制できない
先ほどの話をもう少し具体的に.食やスポーツについても同様のことが言えそうだ.
例えば蕎麦.僕たち日本人は蕎麦をすすって食べるが,これは香りを楽しむために生まれた食べ方である.しかし,海外の方々はすする音を嫌がる人も多い.
味噌汁を飲む時直接器に口をつけることに抵抗感がある人も多いはずだ.
食べ方も料理も違うので抵抗感があるのはわかる.しかし,自分たちに合わせて変わることを強制するのはどうだろうか?
逆の立場になって考えてみてほしい.ヨーロッパに行って,ナイフとフォークの金属音が気になって仕方がないから箸を使えーー!!と叫んだところでヨーロピアンからすると???である.
他の文化を変えるよう強制はできないし,従うよう強制なんかする必要がないしできない.国にも文化があるし,各個人の中にも文化が存在しているのである.
お酒強要する人,ベジタリアンもそれは自分の中に留めておいて,良さを伝えるなりみんなで楽しくやるなりすればいいと思う.絶対的な正義など存在しないのだから.
スポーツでもそう.
日本では人間教育と絡めて「道」を究めることが一つの目標,大義とされる傾向がある.
各クラブも学校教育に付随している.
対してヨーロッパでは楽しむことが大前提にある.学校にはスポーツクラブがなく,市の管轄,総合型クラブ,プライベートクラブが主流だ.
そもそも土台が違うので,トレーニングや育成方法にも違いが出てくるのは当たり前である.
これも一緒でどちらかを強制するのではなくメリットデメリットを比べ,それぞれを尊重し,より良い形に変わっていけばいいと思うわけです.
国際交流ってなに?
じゃあ結局国際交流って何なの?という話.
僕は歴史を知ること,言語を知ること,現地の日常に触れることじゃないかなと思っている.
一人になって,外国人になってみないとわからないことがたくさんあるはず.だからといってこれも強制するわけではなく.
興味がある人は現地の方々の持っているモノ(物質的なものはもちろん雰囲気とか)を壊さないようにやってみてください.
他の個人や文化を推し量りながら,なるべくたくさんの価値観に触れ,経験を積んでいきたい.
結局は他の誰かになり替わることなんてできないんだから.
今回も読んでいただきありがとうございました.
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