限界は必ず存在する,という話
- 2019.03.03
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- PLASSPER, アリーナを作りませんか, 柔道着リサイクルプロジェクト
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こんにちは!最近は暇な時間にひたすらラクガキをしているSHUN(@plassper)です.
早速ですが,みなさんは自身の「限界」についてどう考えていますか?
超えるもの?制限がないもの?
私は「限界」とは,各個人に必ず存在していると考えています.
手足は2本ずつしかないし,自動車より直線を速く走ることはできないし,空は飛べない.
つまり,人間ができることには限界があり,限界がないと言って解決されている事柄は何者かの手助けによって成り立っているということです.
手が3本以上必要な作業は2人でやるし,自動車の存在によってめちゃくちゃ速く移動できるし,飛行機やパラグライダーなんかに乗って空を飛ぶことが可能になる.
もちろんイノベーションによって出した例のように限界を超えることが可能なこともありますが,人間が生身でできることには限りがあります.
今回はその生身でできることを限界として考えていきます.
なぜなら,私の専門競技は柔道であり,多くの競技も生身の身体を通して行うものだからです.
限界を知るとは≒自分への理解
私が筑波での6年間で学んだことの一つに「自分の限界を知ること」があります.
これは自分に制限をかけるというわけではなく,自分の身体を使ってこれ以上やったらやばいなと感じるってこと.限界を知るとは長い時間をかけて自分を理解する作業なのだと思っています.
いくつか書いていくのでお付き合いください.
これを読んで限界に挑戦すること,つまり自分への理解が深まる方が一人でもいてくれると嬉しいです.
競技の限界?
大学では様々な方と乱取(試合みたいな練習)をしました.組んだ時に「あ,この人には天地がひっくり返っても勝てないな…」と思うことが何回もあるのです.
自分の成長のために何度も乱取するし,一泡吹かせてやろうとするのですが全然面白くない.何回も投げられるから.
それとは逆に「あれ?今勝てないけど天地がひっくり返ったら勝てそう?」「この人は〇ヶ月後には勝てそう」みたいな感覚も出てきます.
その感覚を自分の中で具体的にしていくことでできることとできないことを挙げていく.だんだんと全体の中の自分の位置も客観的に把握できてくるという感じ.
過労死寸前?
これは自分の身体からのサインの話.
大学院を修了するには,当然修士論文を仕上げなければなりません.
修士論文提出直前に寒稽古が重なります.その時の生活スケジュールをどうぞ.
前日バイト(-2:00) → 寒稽古(5:30-) → 修士論文&OB会事務雑用(午前中) → バイト(昼頃) → 修士論文(隙あらば) → バイト(18:00-24:00) → 修士論文(-4:00) → 寒稽古(5:30-) → 授業補助&OB会事務雑用(日中,隙あらば修士論文) → バイト(18:00-24:00) → 修士論文(-4:00) → 寒稽古(5:30-)
みたいな.1週間弱3-4時間しか寝ないというどう考えてもおかしい追い込み生活をしたことがあって,この生活の終盤思考停止&身体が動かない状態になりました笑
一旦作業ストップして仮眠,このくらいやると身体って動かなくなるんだなーと確認することが運よくできました.
みなさんの限界は?
こうして私は時間をかけて集団の中の自分,自分の身体のことを理解していくのです.
もう一度言っておきますが,今回限界とは生身を通してできることの限界としています.
今現在も進行中で限界を知る(自分への理解を深める)作業をしています.
自分の旗の大きさを知る
私の理念に共感してくれる方がどれだけいるか,社会にどれだけ貢献できることなのか,どれだけお金を動かすことができるのかを知るために行動していってます.
子どもの頃誰もがやったであろうこのやりとり
○○する人この指とーまれっ!
を繰り返しやってるってイメージです.
うまくいかないことはやはりあるし試行錯誤を繰り返して限界を知る作業の最中と考えてます.このブログもそのうちの一つ?
私の一例を挙げましたが,みなさんはどうでしょうか?
今回も読んでいただきありがとうございました.
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