それでも結果にこだわるべき理由がある
- 2019.06.24
- PLASSPER
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「来年の予算がもし獲得できなかった場合は連盟から給料が出る.でもその場合はプーラに残らず各地を転々とすることになるかも」
要するにこういうことだ.
君のことは評価しているが,うちでは予算が出ない可能性が高い.クロアチアには残って欲しいから別の形を取ろう.
事実上の転勤リーチ宣告を受けてから2か月弱,様々な感情を抱えながらも待ってはくれない重要な試合をこなしてきた.
結果は悪くはない.でも足りない.そんな感じ.
そして,個人的に来年の予算に大きく響くと予想している今週の試合も内容は悪くはないが目標を越えられず,という結果に終わった.
予算が減る理由は成績のことだけではない.むしろ外的要因の方が大きいけど,現状維持では厳しい,これもまた事実だ.
勝利至上主義に苦言を呈す方も中にはいるかもしれないが,それでも僕は勝ちにこだわりたい.
実績がなければ何にもならないからだ.仕事もなくなって,やりたいことも出来なければ自分の主張も通らない.
正しいだけではダメなんだ.
日本でも,いくら組織が円滑に動くように仕事をしていても,久々に挨拶しては,「初めまして,ん?なんか聞いたことのあるような名前だな」と言われるのが関の山だ.
なぜなら僕には実績がないから.
こんな状況で形式的な正しさを優先したらどうなるか?
仕事を続けられないんじゃないか?
やりたいことなんてできないだろ?
こんな葛藤といつも向き合っている.
日本で柔道をずっとしてきた僕からすると,
・柔道は人間教育
・礼の意味
・挨拶
こんなことは当たり前で成績よりもよっぽど重要なものだ,そういう概念の中で生きてきた.
それはどこにいても当たり前だと思っていたけどそうではなく,日本だから成立していることなんだとヨーロッパに来てから思わされた.
今すぐ成績が必要な彼らがそういう人間教育や敬意の念をおろそかにしているかというとそうではなくて.
握手する前に礼をしてくれるし,自分たちの文化に引き込んでくれたり,時には日本の文化的な習慣を優先してくれるのである.
そういった環境に触れて,結果にこだわっていても人間的に成長できるじゃないかと思うようになった.
勝利を目指す過程で,ヒトやモノ,環境,文化への敬意・感謝の意が自然と湧き出てくるはずだ.
礼や握手,靴を揃える,話をきちんと聞くなんてことはそれを表現する手段に過ぎない.
僕の場合は,成績を出すのに一役担うこと,10-20年後のクロアチア柔道界が思い描く最高の形へ向けて全力を尽くすことこそが,僕のクロアチア人へのリスペクトであり仕事なのである.
クロアチアに残ることを決めたのも,今一緒に働いているクラブのおかげといっても過言ではない.
僕を助けてくれたみんなや遠くから支えてくれる人のためにも決めたことはやり切りたいと思う.
次々に飛躍していく周囲の人々に焦りを感じることはあれど,
「焦ってもいいことない」
「Po malo(クロアチア語で少しずつの意)」
と自分に言い聞かせつつ,結果にこだわって毎日勝負勝負していくしかない.
やりたいことをやるには,勝負して勝たなければならないと思う.
今回も読んでいただきありがとうございました.
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