僕がクロアチアで柔道ナショナルチームに携わるまで
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こんにちは!家に帰ってきたのも束の間,今日からまた1週間の合宿に突入したSHUN(@plassper)です.
最近日本に一時帰国したり,Twitterアカウントを作り直したり,合宿でお会いする日本人の方とお話したり,様々新たな出会いが増えてきました.
とてもありがたいことです.
そこでよく,今までの経歴やなぜクロアチアに来たのかをよく聞かれるのですが,そんな話を繰り返しているうちに一つ疑問が生まれました...
ブログを読んでくれている方々に僕が何者か伝わっていないのではないか?
これです.良く分からないやつがスポーツについてたらたら語っている気持ち悪い状態ですね.
私はというと,今何をしているか?とか今後どうなりたいのか?とかが気になるので今まで気にも留めていなかったのですが,,,
記事を確認したところ,自己紹介がめちゃくちゃ適当でした笑
実家から駅が遠いことなんてどうでもいい笑
20も記事を書いておいて今更ですが,今回はなぜクロアチアに移住するのか,私がいかにしてナショナルチーム入りすることになるのか,その後PLASSPERでなにをするのかの3軸で話を進めていきたいと思います!!!
セクションはこんな感じ
① 学生時代の葛藤
② クロアチアにくる契機
③ ナショナルチームに入るまで
④ 無駄なことこそ楽しい
① 学生時代の葛藤
学生時代,というより小中学生の頃からずっと抱えていた心の中の葛藤があります.それは今でも私を動かす原動力の一つになっています.
「おれはチャンピオンじゃないんだ.」
この一言に尽きます.部活動に所属し,毎日鍛錬に励んだ方であれば,一度はチャンピオンになるという目標を掲げたのではないでしょうか?
野球部,ドッジボールクラブ内で,そして柔道の全国大会であらゆる格差,実力の差を感じてその目標を立てては打ち砕かれていきます.(小学校の時は野球とドッジボールを柔道と並行してやってました)
そしてその葛藤は,一般入試を経て筑波大学に入学後,さらに顕著に現われます.
誰と組んでも強い人ばかり,次々入学してくる後輩にはバンバン投げられる,一般と推薦の格差.他競技の友人も日本代表ばかり...
努力が足りないとか,自分で限界を決めてるといえばそうかもしれませんが,当時は破れない壁として毎日立ちはだかってきました.
それでも一流に立ち向かっていく.そのためには金メダルを取ること以外はすべてできなければいけないと考えるようになりました.
その例が知識であり,指導実績であり,言語でした.
そのような考えから,大学院に進学,もう2年筑波で生活することを決めます.
② クロアチアにくる契機
クロアチアにくる契機となった出来事は3つあります.
・東京オリンピック招致
一つ目は2013年9月に東京オリンピック開催が決定したことです.
アジア初の2度目の開催,1回目の東京オリンピックから56年ぶりです.
このチャンスを逃すと,万が一次回日本でオリンピックが開催されることになった時,隠居もしくは死んでます.
このチャンスを逃すわけにはいかない,オリンピックに関わる何かをしたいなと漠然と考えるようになりました.
・教員生活と部活動指導の両立への違和感
2つ目は教育実習に参加したことです.
実習では,教員であることや指導の面白さは感じたものの,やはり,コーチである前に教員であるということを痛感させられました.
まして,出身地である秋田県は少子高齢化,若者の流出が最も問題になっている地域の一つです.
教員として柔道指導はできるものの,柔道普及や人口減少対策にはほぼ貢献できないのではないかと考え始めます.
このまま秋田に戻っても地方のスポーツにとって何も根本的な解決にはなりません.
ということで,大学院を卒業してすぐに教員になることにも疑問を抱くことになりました.
・ルームシェア
私が大学4年になる時,一人の先輩がヨーロッパでの生活を終え,大学院に入学してきました.その後何やかんやあって一緒に住むことになります.
2人で話し,海外の選手が家に泊まり,今までになかった価値観と選択肢がバンバン私の中に入ってきます.
そして,私はこう思いました.
「もしかして,今までの疑問は海外でコーチすれば解決するんじゃね?」
この時,リオオリンピックの前年です.
海外に行くこととオリンピックに選手を送ることは違う事柄なんですが,その時は無敵モードなので行けば絶対に何とかなると思ってました笑
行くことが決まったら次は所属先探しです.
候補は特にありませんでしたが,プランだけは作っておきました.
2016年 海外行く
2017年 信頼を得る
2018年 ナショナルチーム入り
2019年 ヨーロッパ選手権で勝負
2020年 オリンピック
つまり,オリンピックに選手を送るには2018年がタイムリミットという自分の中で期限を定めました.
話が少し逸れましたが,先にヨーロッパで柔道指導していた同級生に日本人コーチを探しているという方の連絡先を教えてもらいます.(窓口がないことが多いので現地にいる日本人コーチに紹介してもらうパターンが多いみたいです)
他にもいくつかありましたが一番ちゃんと連絡が取れた(笑)クロアチアに行くことに決めました.
メールのやり取りだけで就職を決めるという荒業ですが,この時もまた無敵モードなので行けばなんとかなるという気持ちでした.
それに,日本での安定とかいろんなものを切っていくことになります.いいからとりあえずやるしかない,という感じです.
③ ナショナルチームに入るまで
クロアチアで最初に訪れたのはサモボルという街でした.(2016年4月)
30時間のフライトを経て,空港に着くと,一緒に働くコーチが迎えに来てくれていました.
首都であるザグレブから車で20分ほど,小さな街ですが住民の所得はクロアチアの中ではまあまあとか.
あとは数年前にクラブが分裂したらしい(ヨーロッパではあるある)
クロアチアはほとんどのコーチが副業を持っているということも分かりました.
なるほど,ナショナルチームのナの字も見えてきませんがやっていくしかありません.
サモボルでは1年間過ごすことになるのですが多くのことを学びました.
クロアチア人のこと,生徒との距離感,指導の仕方.
最も口酸っぱく言われたことは,「日本人とはメンタリティが違うんだ」です.
今でも言われます...
なんやそれは.いいからやれって感じなのですが,ここを感じ取れるかどうかは海外に住むにあたって非常に重要な考えだと思いました.
「郷に入れば郷に従え」といういい諺がありますね.
そんな地道な練習と大会の繰り返しの生活で気をつけていたことは,
・挨拶
・なるべく現地の言葉を使う
・なぜいいのかなぜダメなのかをしっかり説明する
・とにかく見せる
上記2つは練習以外で特に気をつけたこと.どちらもクラブの人に限らず,クロアチアの柔道界に受け入れてもらうためにとても役に立ったかなと思います.
練習では同じことでもとにかく繰り返し見せることを特に意識しました.しっかり説明することは選手に理解・納得してもらうためには必要かと.
ちなみに気になるビザですが,観光ビザで入国してその後警察署に書類を提出して就労ビザを取得しました.期間にして3週間ほど.特にトラブルもなく参考にならないかもしれませんが笑
2016年も終わる頃,次回の契約が継続できないことが判明します.
サッカーに予算がごっそり移動してしまうのでこの契約が維持できないとのことでした.
(クロアチアのスポーツクラブは市町村からの予算を各種目に分配し,運営しているみたいです.でも会費アリ)
またまた所属先探しがスタートしました.
具体的な場所は省略しますが,いくつか候補が上がりました.これまたありがたいことですね.
その中から一か所を選ばなければいけないのですが,連絡がつかない,仕事の開始時期・給与体系が不透明,また1から始めなければならない(2018年の自分で決めた期限に間に合わない)などの理由からクロアチアの違うクラブに移動することを決めます.
移動するにあたって,クラブの外で個人的に2つのことを準備しました.
一つは合同練習を定期的に開催する.
もう一つは,ナショナルチームのヘッドコーチのもとでトレーニングを一緒にすること.
しっかり自分を売り込んで,どちらの活動も順調に進んでいたのですが...
ここで所属するはずであったクラブと揉めます.まだ契約始まっていないのに.(ビザの更新申請は始めていたので滞在は可能です)
つまり,無職に笑
ヘッドコーチと一緒にトレーニングしてたことが効いてなんとかそこで働けることに.(元々移動するはずだったクラブとは別のクロアチアのクラブ)首の皮一枚つながりました...でも新たな所属先の予算の関係で給料は半分になりました.
その後,講習と練習を繰り返す日々です.思ったより自由にやらせてもらえてみんなの理解も得られるようになってきました.
2017年から少しずつナショナルチームの合宿にも参加していたのですが,2018年連盟の会議に推薦してもらい,正式に携わることができるように.
やっとスタートラインに立つことができました,ここでオリンピックまであと2年.
2018年はナショナルチーム入りしたものの,オリンピックを目指す選手の手術,U21世代の選手は思うように成果が出ず,我慢の一年になります.
今までの我慢を今年と来年で爆発させていきたいところです.
ビザや給与未払い時の立ち回りなど,皆さんが知りたいであろうイベントが何一つ発生してませんが,,,
・現地の文化を尊重すること
・とりあえずやること
・プラン達成のための準備
こんな感じでなんとか日本を出ても生き抜くことができています.
④ 無駄なことこそ楽しい
ここからはPLASSPERに絡む未来の話です.
PLASSPERはここでも書いた通り,スポーツに関わる全ての人に幸福を,自他共栄の精神をもって社会の発展に貢献するという意味を込めています.
随分と抽象的ですが,この理念のもとにどんなことをしていけばいいのかという話になっていくと思うので.
そして今実現・実行中のプロジェクトは,
・日本人柔道家の招致(国際交流)
・柔道着の寄付
そして,webを通して発信しながら試行錯誤の最中です.
2019年中に新たなプロジェクトも立ち上げようと計画中です.
これからやっていくことは,
スポーツクラブ,アリーナの設立
簡単ではないし,一人ではできない.そしてただ作るだけではなく,継続性のある,稼げるものを作らなければいけないと思っています.
スポーツやアリーナがなくて誰が困るのか考えなければいけないというのをどこかで読みました.
誰も困らないと思います.(アリーナ作りたいと言っておきながら)
そもそもスポーツ自体おまけみたいなものだし.
小説,ゲームがなかったとしてだれか困りますか?(製作者が困るというのはそもそもないスタートで製作者が存在していないのでなしで)
必要なものは水と食料,安全な寝る場所とインフラくらいだと思います.
「無駄なことこそ楽しい」
スポーツが文化になるように,人々の心身の充実に貢献するようにがんばっていきましょう!
今回も読んでいただきありがとうございました.
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